その他の皇族方のエピソード

最も近しい殿下

寛仁親王殿下

今上陛下の従弟にあたる寛仁親王殿下(ともひとしんのうでんか)は、豊かなお髭をたくわえたお姿から「ヒゲの殿下」の愛称で国民にひろく親しまれてきました。

平成24年(2012年)1月、咽喉に腫瘍が見つかったため、治療に専念されておられましたが、6月6日、儚くも薨去されました。66歳でした。


明朗なご性格と、歯に衣を着せない率直なご発言から国民の人気も高く、のちの伝え草となるようなエピソードが数多く語り継がれている寛仁親王殿下。
障害者福祉や障害者スポーツ振興、生活福祉に関するご活動を熱心にされ、講演などでもご自身の体験も踏まえてユーモアたっぷりにおもしろおかしく持論を説かれておられました。

なかでも度肝を抜かれたのが、平成19年(2007年)に仙台市で開かれた第21回「ありのまま生活福祉講座」でのご講演のひとコマです。「我が国の福祉」と題されたその講演でしたが、その冒頭から「アルコール依存症の寛仁親王です」と自己紹介。

寛仁親王殿下
▲講演される寛仁親王殿下

さらには「大学時代からずっと酒を飲んで依存症だったわけで、最近になって、今さらそうなったと取られるのは心外」などと自虐的なジョークも交えて話をお進めになるのでした。 当然、会場は大きな笑いの渦に包まれます。

心労から酒量が増えたため専門家のもとで療養を決心した旨をお明かしになり、その経験から「障害者を可哀想とか、哀れだと思わないでほしい。 良い支えのもとで努力すれば、彼らは何でもできるのです」と結ばれました。

奔放な殿下の破天荒なエピソードで有名なもののひとつが、ニューヨーク・タイムスのインタビューでお答えになった学生時代の話でしょうか。
当時殿下は山手線を使って学習院に登下校されていました。学習院の制服を着てらしたせいでしょう、よく朝鮮学校の生徒に因縁をふっかけられて喧嘩したそうです。ボコボコに殴られたけれど、殴り返したのだとか。

その後、英国オックスフォード大学に留学され、帰国したときにはたっぷりの髭。これ以降「ヒゲの殿下」と呼ばれるようになります。

昭和50年(1975年)10月27日には、皇族で初となるラジオパーソナリティを務められました。しかもオールナイトニッポン。深夜番組です。おまけに酒を飲みながらのトークで、宮内庁への皮肉もちくちくと挟みつつ、リスナーからの「どうして皇族は皆、学習院へ進むのですか?」との質問に「優秀なら東大へ行きます」とお答えになるという前代未聞の放送に。

さらに昭和52年(1977年)4月1日、テレビ朝日誕生を記念して10時間半にわたって放送された特別番組「わが家の友だち10チャンネル 徹子のナマナマ10時間半」(テレビ朝日系)では今も続く徹子の部屋のゲストとしてご登場。

黒柳徹子さんが殿下に、喫煙はいつから?と伺いになると、殿下は「高校1年生くらい
「本当は飲んじゃいけないんでしょう? 二十歳を過ぎないと」
そうらしいですね

今ではちょっと考えられないやりとりですが、まだおおらかだった当時の時勢と殿下のお人柄で笑い話に昇華した例のひとつですね。

晩年は、皇位継承問題における女系天皇容認論でも一石を投じられました。並行して体調をお崩しになることも増え、入退院を繰り返しながらも社会活動に邁進されておられましたが、6月6日午後3時35分、入院先の佐々木研究所付属杏雲堂病院(東京都千代田区)にて薨去されました。

参考:産業経済新聞社 正論 平成18年3月号
皇室ism(http://koshitsu.jugem.jp/)


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