自衛隊へのねぎらい
これほどにまで「未曾有の災害」という言葉が使われたことはなかったのではないでしょうか。平成23年3月11日に発生した東日本大震災。大地震、大津波、原発事故と三重苦の極限状態に置かれた多くの被災者の身を世界中が我がことのように案じました。
地震発生から日が経つにつれ、刻々と明らかになってきた深刻な被害状況。震災による死者、行方不明者は約1万9千人、建築物の全壊、半壊は計38万戸以上、ピーク時の避難者数40万人以上、停電世帯800万戸以上、断水世帯180万戸以上…気の遠くなるような数字ばかりが並びます。
この大災害に対し、早急に救助隊が現地に入りました。警察庁、消防庁、海上保安庁、自衛隊の派遣部隊により26,708名もの救命が実施され、また後援活動として、避難所での世話や、瓦礫の撤去などの作業も並行して進みました。
▲自衛隊員による被災地での救助活動
ことに自衛隊の活躍は今更ながらにも大きな役割を果たしました。派遣された自衛隊員は、最大時約10万7000人、航空機約540機、艦艇59隻もの大援軍。震災発生から3ヶ月間に延べ人数では約868万7000人、航空機約4万1000機、艦艇約4100隻にもなりました。
これにより1万9286人の人名が救助され、9487体の遺体が収容されます。
この報告にさきがけ、震災発生の5日後、平成23年3月16日のことです。今上陛下がおことばを発表されました。まだまだ被害の全容が見えてない手探りでの捜索や救助が続く最中でのご発表でした。
そのお言葉のなかで今上陛下は行方不明者の救助への望みと、被災者の生活へのはげまし、世界中から届くお見舞いのこと、団結と助け合いでこの難局を乗り切ってほしいという願い、ともに復興へ歩む希望をお述べになりました。
▲TVで放映されるお言葉を聞き入る人々
画像引用:ロイター
特筆すべきは、一連のお言葉の中でお述べになったうち、「自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います」の文言でしょう。まっさきに自衛隊の名を挙げてねぎらいのお言葉をお掛けしていらっしゃいます。
いや、むしろ特筆すべきと書く方がおかしいのです。陛下としてはやはりどうしてもまっさきに触れておきたい組織名だったはずです。
しかしながら憲法の規定上、皇室による政治への介入はできません(第四条)。もちろんこれまでもそしてこれからも、陛下が政治に関して何かお考えをお述べになることはなかろうと思われます。お考えをお述べになるというだけで、政治への介入だと性急な判断を受けて周囲にご迷惑をお掛けになることを危惧されてのことでしょう。お難しいお立場でもあります。
難しい立場といえば自衛隊もそうです。昭和29年(1954年)に創設されて半世紀以上経つというのに、いまだにどこか非難めいた目を向けられる立場が続いています。憲法論云々はともかく、自衛隊がこれまでに人命においてどれだけの国益をもたらしたかは説くまでもありません。常に日陰の存在でありながら、しっかりと国と民の生命を守り続けてきたのです。
それは今回の東日本大震災でも同じことでした。
言い方に語弊がありますが、そんな「不憫な」自衛隊に対し、難しいお立場のなかでできうる最大限のねぎらいとして、今上陛下はまず最初に自衛隊の名を出したのでしょう。
このお言葉を聞いた多くの自衛隊員の胸の内には、きっと熱いものが湧いたに違いありません。
参考:宮内庁(http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/)
JBPress(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/14855)
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