日本人なら知っておきたい
昭和天皇の肉声といえば、誰もがまず思い浮かべるのが玉音放送(ぎょくおんほうそう)。TVドラマや映画、ドキュメンタリーなどでの太平洋戦争の終戦シーンといえば、必ずと言っていいくらいに使われるほど象徴的なものです。
くぐもったラジオ音声で雑音混じりに流れてくる「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」の一節は非常に有名ですが、それ以外の部分となると、意外と知らない人も多いのではないでしょうか。
▲大東亜戦争終結ノ詔書
昭和20年(1945年)8月14日、ポツダム宣言の受諾が御前会議において決定しました。
そしてすぐに大東亜戦争終結ノ詔書が閣議において確定されます。
詔書の内容は簡単に言えば「ポツダム宣言の内容を受諾します。つまり終戦です」という発表。
国民への発表の方法といえば、現代ならばTVでのライブ記者会見を思い浮かべますが、当時はまだTV放送開始前。(TV放送は終戦から8年後に開始)
一般に普及していた放送手段といえばラジオでした。ただ、ラジオの生放送にご登場願うのはさすがに昭和天皇に畏れ多いとの判断もあり、肉声での発表を録音したものを本番で流すという手法が提案されます。
同日、日本放送協会(NHK)の録音班8名が宮中に召されて、録音作業にとりかかります。録音に使われた機材は日本電気音響株式会社(現・DENON)のDP-17-Kというモデルの円盤録音機でした。レコードは3分間録音できるセルロース製のSP盤。放送は5分だったため、前半と後半の2枚に分けて録音が実施されます。
昭和天皇が詔書を読みあげになった録音を、陛下の御前で再生したところ、御発声が低くあられたので陛下自身が録り直しを希望されたため、リテイクが実施されました。
同日午後9時と翌15日午前7時21分に、正午から玉音放送を実施するので全国民は聴取するようにとの予告放送がラジオで流れます。
さらに戦争末期の物資不足からなる昼間の送電中止に関しても、当日は特別送電を行い、出力も増強。本土だけでなく、満州、朝鮮、台湾、中国の占領地、南方の諸島に至るまで放送が行き渡るように調整されました。
時は正午を迎えます。時報のあとにアナウンサー和田信賢(わだのぶかた)による「只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様ご起立願います」の呼びかけで放送が始まりました。
続いて、国内の情報蒐集や言論、出版、文化の統制を指揮していた内閣直属機関である情報局総裁下村宏(しもむらひろし)が、
「天皇陛下におかれましては、全国民に対し、畏くも御自ら大詔を宣(のたまわ)らせ給う事になりました。これより謹みて玉音をお送り申します」と述べたあと、君が代が流れ、時報から1分52秒後に陛下の肉声による詔と続くのです。
陛下の玉音は次のようなものでした。
▲東京四谷で玉音放送を聞き、涙を流す民衆
画像引用:毎日新聞社
私は(昭和天皇)深く世界の大勢と日本の現状を深く考えた結果、非常手段によってこの事態を収拾しようと思うので、忠実で善良なあなたたち国民に伝えることにしました。
私は政府に米国、英国、中華民国、ソ連の4つの国に対して、ポツダム宣言を受諾することを通告させました。
そもそも国民の安寧を図り、世界が共存して繁栄する幸いを共有することは、皇室が古来から伝えてきた規範であり、私がずっと願ってきたことです。
先だって米英の二カ国に宣戦したのも、日本の自主自立と東アジアの安定とを切実に願ったことによるもので、他国の主権を排除し、領土を侵すようなことは、もちろん私の意志ではないのです。
なのにかかわらず、交戦はすでに四年も過ぎていて、我が陸海将兵の勇戦も、我が多くの役人の努力も、我が一億の国民の奉公も、各々最善を尽くしたものの、戦局は必ずしも好転せず、世界の大勢もまた日本に不利な状況です。
加えて、敵は新たに残虐な原爆を使用して、しきりに無実の国民を殺傷し、悲惨な被害がどこまで及ぶのか、もはや想像もつかない状態になっています。
▲原爆により壊滅的被害を受けた広島市
その上になおまだ交戦を継続すれば、最後には我が民族の滅亡を招くのみならず、ひいては人類の文明も破滅してしまいます。
このような状態で、私はどのようにして億兆もの国民を守り抜き、神霊に謝罪すればよいのでしょうか。
これが私が政府にポツダム宣言受諾を応じるように至らせた理由なのです。
私は日本と共に終始東アジアの解放に協力してくれた諸国に対し、遺憾の意を表さざるを得ません。
戦争の前線で死亡したり、職務遂行中に殉職した国民、災難に倒れた者、そしてその遺族に想いをめぐらせれば、身を引き裂かれる心地です。
また戦傷を負い、災いを被って家や仕事を失った人の手助けに至っては、深く心を痛めて心配しているところです。
思うに、今後日本の受けるべき苦難は、言うまでもなく甚大なものです。あなたたち国民の誠意も私はよく理解しています。
しかしながら、私は時の運が流れて行くところに、堪えがたい気持ちを堪え、こらえきれない気持ちをこらえて、将来のために世の中の平和を拓いていきたいのです。
▲玉音放送の録音に臨まれる昭和天皇
私はここに国家を守り、維持することで、忠誠で善良なあなたたち国民の偽りのない心を信じて、常にあなたたち国民と共にあります。
万が一でも激情に駆られてみだりに事件を起こしたり、または同じ日本人を陥れたりして互いに時局を乱し、正しい道を誤って信頼を世界中から失うようなことを、私は最も警戒しています。
ぜひ、国を挙げて家々の子孫に伝え、確固として日本の不滅を信じ、その重責と遠い道のりを思い、総力を将来の建設に傾け、道義に篤く、堅い意志を持って、誓って国家のあるべき真髄を高め、世界の進歩に遅れないことを約束せねばなりません。
あなたたち国民は、私の意をよく理解して、そのようにしてほしいのです。
4分34秒に渡る玉音が終わると、再び君が代が流れ、下村情報局総裁の「謹んで詔書の奉読を終わります」との宣言があります。
その後も和田アナウンサーによる解説と再度の詔の朗読が続きました。漢語が多く難解な文体の詔のため、玉音放送を一度聞いただけでは何がなんやら分からなかった、という体験談をよく聞きますが、この解説放送のおかげで陛下のお気持ちと終戦を理解できた人も多かったようです。
大東亜戦争終結ノ詔書 原文
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(けんけん)措カサル所
曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ゆえん)モ亦(また)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス
然(しか)ルニ交戦已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯(かく)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内(ごだい)為ニ裂ク
且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ
惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス
爾臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民其レ克(よ)ク朕カ意ヲ体セヨ
参考:DENONミュージアム
(http://www.denon.jp/jp/museum/history_gyokuon.html)
wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/
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