皇室の食卓
一日三食、食事をするのは誰もが同じ。とはいえ、皆それぞれ違ったものを食べています。人が食べているものが気になるというのはちょっと品がない話ですが、興味を抱いてしまうのも致し方ないところでもあります。
皇室ご一家の食卓にはどのようなメニューが並んでいるのでしょうか。華麗な宮中晩餐会のイメージからか毎晩豪勢な食事なのだろうと思ってしまいますが、実際のところは正反対なのです。
▲宮中晩餐会にてスウェーデンの
グスタフ国王と乾杯する今上陛下
(画像引用:共同通信社)
外国の要人を迎えて開催される宮中晩餐会だけでなく、皇室ご一家の毎日の食事は基本的に宮内庁管理部大膳課が取り仕切っています。
課は和食を担当する厨房第一係、洋食を担当する第二係、和菓子を担当する第三係、パン・洋菓子を担当する第四係、そして東宮御所を担当する第五係に分かれています。
天皇の料理番の異名を持つ職務ですが、特に大正2年(1913年)から主厨長を務めた秋山篤蔵(あきやまとくぞう・徳蔵)、昭和39年(1964年)から第一係で和食を担当した谷部金次郎(やべきんじろう)、昭和45年(1970年)から第二係で勤めはじめ昭和63年(1988年)からは第五係にて皇太子徳仁親王殿下の料理番となった渡辺誠(わたなべまこと)の3氏は著書や伝聞記事により、その内部事情が多く伝わっています。
まず気になるのが毎食の予算。
もしや大盤振る舞いの献立で高級品ばかりが食卓に並ぶのではと考える人も多いでしょうが、実際はまったくの逆。
皇室費用のうち今上陛下及び内廷皇族の日常の費用を内廷費といいますが、その額は平成8年度から額が変わらず年間3億2,400万円。年収3億と聞かされれば、一流プロ野球選手の年棒ほどあるじゃないかと思ってしまいがちですが、この数字にはカラクリがあるのです。
▲伊勢神宮
実はこの3億2,400万円には皇室祭祀の費用が含まれています。
神官や巫女などの内廷職員約25名の人件費と祭祀に関する経費、さらには伊勢神宮をはじめとした17社の神社への勅幣費用、40ほどある寺院などに対する経費も含んだ上での金額なのです。
決して3億円以上もの金銭を自由に使えますよ、という意味ではないわけですね。
そんな具合ですから、大膳課に割り当てられる食材の予算も限られてきます。仕入れの担当者は少ない予算でいかに物を揃えるかに頭を悩ませてきたのです。
皇室には専用の農場牧場である御料牧場(ごりょうぼくじょう)が栃木県高根沢町にあり、キャベツ、大根、なす、にんじん、しいたけ、ごぼう、白菜といった野菜のほか、 豚肉、鶏肉、タマゴ、牛乳が獲れますが、当然それだけで全ての食事を作ることができるわけはありません。
例えば、コメは文京区の小黒米店から仕入れています。いわゆる皇室御用達ですね。最高級の銘柄が納入されるのかといえばそうでもなく、いわゆる標準米です。ただ、標準米のなかでは美味しい部類のものを店主が目利きして選んでいるのだそう。それに麦を2割加えて炊き上げます。
魚も牧場では獲れるはずがないので、築地の共同水産株式会社から仕入れています。これもまたタイやヒラメといった高価な魚ではなく、イワシやアジ、サバ、サンマといった大衆魚ばかりです。昭和天皇もまたイワシやアジが好物だったようで、よく献立に上がりました。
▲鰯の味噌煮
終始こんな具合ですから、松茸やら松葉蟹やらの高級食材が使われることはまずありません。フグに至っては高価な上に有毒な部位を持つために、万が一があってはいけないと、昭和天皇は生涯一度もフグをお口にされたことがなかったのです。
こうして用意された食材は大膳課の料理人によって調理されるわけですが、その手法こそ世間一般と異なるところです。
野菜のカットはすべて大きさを揃えます。ジャガイモ(白芋)は包丁で完全な球状にカットします。豆も薄皮まで取り除く念の入れよう。
コメに至っては、洗米したコメを大きな天板にひろげて、不揃いの粒や黒い粒を菜箸で取り除いてから炊き上げるというこだわりです。
余った食材も捨てることはもちろんしません。他の料理に使えるものは使い回しますし、料理番の賄い食に使われたりして完全に使い切ります。(一物全体(いちぶつぜんたい))
食材の予算におカネを掛けられないぶん、手間暇を存分にかけた料理を作りあげて無駄なくお出しする職人魂とでも言いましょうか。
陛下がお召し上がりになる普段の食事は非常にありふれた大衆的な料理ながらも非常に手が掛かった逸品なわけです。
食卓には地元の旬の食材や伝統食が身体に良いとの信条(身土不二(しんどふじ))から、身近な素材を薄味で仕上げた料理が並びます。濃い味付けは調味料を食べているようなもので、食材の風味を殺してしまうという京料理の思想でもあります。
▲柳箸
食事の時間は決まっていて朝は8時半、昼は正午、夜は午後6時。朝食はいつも洋食でパンかオートミールがメインです。昼が和食なら夜は洋食で、昼が洋食の日は夜は和食と決まっていました。
使われる食器も特別に高価なものではなく、普通の食器です。箸は柳箸(割り箸)を2~3度使い、さらに料理番の菜箸に使い回します。
では、実際の献立を見てみましょう。谷部金次郎氏の記録によるとある日のメニューは次の通りでした。
- 吸い物(椎茸、うずら、さやいんげん、若鶏、筍)
- 太刀魚の塩焼(大根おろし添え)
- そぼろ入りオムレツ
- 菜っぱのお浸し(おかか添え)
- 麦飯
- キュウリの奈良漬
いかがでしょう。ごく普通の一汁三菜、ありきたりなお惣菜です。また刺身などの生ものはあまり出されません。
食中毒を避けるためです。
ほかにはカボチャとがんもどきの煮物や、おかゆ、うどん、炒飯、酢豚などもよく食べられていたようです。
▲鰻茶漬け
(画像引用:うなぎ専門店浜名湖山吹)
渡辺誠氏によれば昭和59年(1984年)のメニューではウナギの蒲焼が16回出されています。昭和天皇のウナギ好きに応えた形でしょうか。
特に鰻茶漬けが好物でしたが、これは献上品だったため年に1回から2回しか食べられませんでした。もっと食べたいと思われることがあったとしても、昭和天皇は決して自分から食べたいとおっしゃることはなかったのです。
同様に好き嫌いを言うことも一切ありません。出されたものは残さず食べる、を文字通り実践していました。一度柏餅をお出しした時に、葉っぱ付きでお出ししたため、それも召し上がってしまい、さすがの昭和天皇も「美味しくない」と答えたのだそうです。
かといって食べすぎることもなく、腹八分目を常に考えられており、1日の摂取カロリーは1,600kcalを目安に献立が組まれていたのだとか。一般的な成人男性で2,000kcal摂取が理想値だとされていますので、まさに腹八分。飲酒もされない陛下の食生活は長寿食のお手本なのです。
御殿での普段のお食事よりも、むしろ行幸で地方にお出向きになったときのほうが異色の食事になりました。
地方では陛下のおでましともなれば、精一杯のおもてなしで出迎えねばと意気込むわけで、戦後まもない昭和24年(1949年)という時期でさえ大分県別府市の日名子旅館(現在廃業)では若鶏のバター焼き、野菜の土佐煮、鮎の塩焼き、城下鰈、南瓜、蕗と鯛の酢の物、お汁、メロンとご馳走が並びました。出されたものは全て平らげねばならない主義ゆえに満腹に苦しみながらお召し上がりになったのではと思われます。ほかにも地方行幸では過分な饗宴が多かったようです。
しかし、陛下はそれについて良いとも悪いとも、何が美味かったともまずかったとも決しておっしゃいませんでした。
最後にちょっと可笑しいけれどお可哀そうでもあるエピソードを。
昭和天皇に納豆をお出しになったとき、当時の職員が陛下に納豆の糸を引かせるわけにいかないと、塩揉みして水洗い。完全にぬめりを取り去ったシロモノを出したのです。
これでは風味もなにもかも飛んでしまいます。こればかりは「もう納豆は食べたくない」とこぼしたのだそうです。
参考:昭和天皇のお食事 渡辺誠著(文藝春秋刊)
昭和天皇と鰻茶漬 谷部金次郎著(文藝春秋刊)
歴代アメリカ大統領研究(http://www.american-presidents.info/jyunko13.html)
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