蘇る天平の宝
皇室の方々のご公務にはさまざまなものがあります。国事行為、宮中祭祀、行事などへの全国行幸、外国へのご訪問などなど…
なかでも伝統文化の継承は、意外と国民に周知されていないご公務なのかもしれません。とはいえ、毎年初夏に今上陛下の田植えのお姿をTVなどで目にする機会もありますよね。
今上陛下が田植えをなされるならば、皇后陛下も何かをされていらっしゃるはず。今回は皇后陛下がお続けになっている伝統文化の継承のお話です。
▲第21代雄略天皇
皇后陛下が担われていらっしゃる伝統文化の継承とは、ずばりご養蚕です。
古くは日本書紀に「天皇欲使后妃親桑以勸蠶事」という記述があります。
西暦462年に雄略天皇が后妃に桑を摘ませてご養蚕を勧めようとされたと書かれていて、皇室においてかなり古い時代からご養蚕が根付いていた証左です。
米や果物などにさまざまな品種があるように、実は蚕にも品種があります。皇后陛下もいくつかの品種をお育てになっておられますが、今回取り上げるのは小石丸(こいしまる)と呼ばれる奈良時代から続く日本古来の在来種。
大正天皇の皇后である貞明皇后陛下(ていめいこうごう)がまだ皇太子妃だったころ、東京蚕業講習所(現・東京農工大学)を視察になられた際に献上された品種です。
▲御養蚕室での香淳皇后陛下
画像引用:東京農工大学
貞明皇后陛下から香淳皇后陛下(こうじゅんこうごう)に引き継がれた小石丸のご養蚕は、やはり美智子皇后陛下にも受け継がれました。
現在も皇居内にある紅葉山御養蚕所で毎年春から初夏に「掃立て」「給桑(きゅうそう)」「上蔟(じょうぞく)」「繭かき」といったご養蚕の各作業をされておられるのです。
その小石丸ですが、極細繊維の糸を吐き、けば立ちが少ない上に糸の張りが強いという高品質のスグレモノ。
しかしながら蚕1頭から採れる糸は他の品種に比べて半分以下の500m足らずしかなく、飼育も難しいのが難点でした。
「とてもじゃないけれど採算が合わない」と小石丸を養蚕する農家はいつしかなくなり、小石丸は商業養蚕の世界から姿を消してしまいます。
このような世間の流れを受け、御養蚕所での小石丸のご養蚕も中止が検討されてしまうのでした。
しかし、奈良時代から連綿と紡がれてきた小石丸の歴史をここで絶えさせてはいけないとお考えになった皇后陛下が、種の保存をも目的に継続をご主張されたことで小石丸は絶滅の危機を免れます。
▲蚕を網に移す上蔟(じょうぞく)の作業をされる皇后陛下
画像引用:共同通信社
時代は流れて、平成5年(1993年)。
宮内庁所管で奈良に位置する宝物館の正倉院で、一大プロジェクトが始動します。
正倉院は聖武天皇と光明皇后ゆかりの品をはじめとした、天平時代などの美術工芸品を収蔵している建物で、ユネスコの世界文化遺産に指定されています。
正倉院に納められている宝物のうち、経年劣化で色あせてしまった織物などを復元模造するのがプロジェクトのあらまし。膨大な日数をかけて緻密な作業工程を経て、復元模造に新たな命が吹き込まれます。
▲正倉院正倉
正倉院事務所と協力の依頼を受けた株式会社川島織物(現・株式会社川島織物セルコン)は、文献の色の名を考慮して当時の色合いに最も近い色と、文様だけでなく表面のキズまでも完全なる再現を目指して復元作業にあたりました。
明治以前の古い時代の染織品の端布のことを古代裂(こだいぎれ)といいますが、正倉院の古代裂、つまり正倉院裂(しょうそういんぎれ)の復元には絹を使います。
しかし、当時使われていた絹糸は光沢としなやかさがありましたが、いまや主流になっている絹糸には品種改良の結果、逆に光沢もしなやかさも失われていました。
商業性と生産性を重んじた結果、針金糸と揶揄されるほど太く、絹織物がすぐ擦り切れたり、布が重くなってしまったりと、奈良時代の絹糸とは正反対の性質を持つ物ばかりになってしまっていたのです。
▲小石丸の繭
これでは復元できない…
材料集めの段階で早くも行き詰まりを見せたかのように見えたプロジェクト。
そのとき関係者が着目したのが、陛下によって絶滅の危機を逃れていた小石丸だったのです。
当時の正倉院事務所長、米田雄介さんは早速、小石丸の繭の下賜を陛下に願い出ました。
陛下は快諾。しかも当時の小石丸生産量の7倍もの増産までもお引受けになられます。
なにぶん飼育が難しい蚕なだけに、猛暑のせいで成育が悪く、織り糸に適さない状態の繭ばかりになってしまう年もありましたが、それでも16年の長きに渡り繭がプロジェクトのために下賜され続けました。
▲復元された赤地唐花文錦
(あかじからはなもんのにしき)
画像引用:宮内庁
さらには、糸の染色のために皇居内で栽培された染料となるニホンアカネも賜り、正倉院裂復元プロジェクトは着々と進みます。
讃岐国調白●(さぬきのくにのちょうのしろあしぎぬ、●=「施」の偏が糸偏)をはじめ、小唐花文白綾(しょうからはなもんしろのあや)、七条織成樹皮色袈裟(しちじょうしょくせいじゅひしょくのけさ)などが復元されました。
このようにして平成の世に蘇った天平時代の宝物を通して、絹織物の世界では小石丸の高い品質が再度注目されるようになります。
現在では、小石丸は「ブランド繭・最高級絹繭」としての地位を確立した上に、平成9年(1997年)には蚕糸業法が廃止されたため養蚕への新規参入がしやすくなったことで、今では全国のあちらこちらで小石丸の養蚕がおこなわれています。
以上、皇后陛下の強いご意思が、考古美術の発展と養蚕業の活性に大きく寄与されたというストーリーでした。
参考:東京農工大学(http://www.viva-insecta.com/tuat_acv/index.htm)
綾の手紬染織工房
(http://east.tegelog.jp/index.php?catid=888&blogid=99)
宮内庁 正倉院(http://shosoin.kunaicho.go.jp/public/pdf/0000000051.pdf)
宮内庁(http://www.kunaicho.go.jp/)
福島県農林水産部園芸課(http://www.pref.fukushima.jp/yasai/kennai-
engeinousakumotu/yousan/yousan-koishimaru.html)
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