昭和天皇のエピソード

昭和天皇が命名されたもの

昭和天皇

日本全国を行幸され、さまざまな土地でいろいろなエピソードが語り継がれる昭和天皇。また、ご公務に邁進された皇居宮殿においても、これまた数多くの逸話に囲まれています。

そのなかでも、今回ご紹介したいのは、昭和天皇が名付け親となったモノあれこれ。有名なものから意外なものまで、昭和天皇が命名されたモノは結構あるのです。


サメジマオトメウミウシ
▲サメジマオトメウミウシ
(画像引用:ウミウシ図鑑.com)

昭和天皇と言えばまず思い浮かべるのが海洋生物や植物の研究。生物学者としてなんと200種以上もの新種を発見されています。
大正7年(1918年)に沼津御用邸の浜に打ち上げられた海藻から偶然ご採集になったまっ赤なエビが新種だと判明し、ショウジョウエビ(Kangaroo shrimp)と命名されたのを皮切りに海洋生物の研究にいそしまれました。

なかでも陛下が力を注いだのがウミウシの研究です。ウミウシとは貝殻のない巻き貝の仲間。葉山御用邸のそばの海は陛下の研究フィールドで、磯の石をめくっては生物を探し、めくった石は元の位置にきちんと戻されて、なるべく生態系に影響がないように注意を払われていました。

サギリオトメウミウシ
▲サギリオトメウミウシ
(画像引用:ウミウシ図鑑.com)

陛下が葉山の海で発見されたウミウシのなかでも、その鮮やかな青い色の背に濃い群青のストライプがなんとも印象的なのが、サメジマオトメウミウシ(Dermatobranchus striatellus)。タテジマウミウシ科の一種で、サメジマとは葉山御用邸から見て北西にある島、鮫島のことです。

右の写真も昭和天皇が発見、命名したウミウシで、その名はサギリオトメウミウシ(Dermatobranchus semistriatus)。サギリは漢字で書くと狭霧です。

ミタマキガイ
▲ミタマキガイ (画像引用:世界の貝)

ウミウシのほかに、海洋生物では貝に関する新種も多くあります。昭和6年(1931年)からは相模湾を底曳網で採集し、昭和9年(1934年)に陛下が発見されたミタマキガイ(Glycymeris imperialis)は玉置貝に尊敬語の「御」を冠した命名を博物学者の黒田徳米(くろだとくべい)によってなされ、発表されます。
ちなみに当時は陛下が発見された新種はそれぞれの専門学者がまとめてから発表されていました。昭和42年(1967年)からは陛下も専門学者のひとりとして、ご自身で命名・発表されるようになります。
たとえば海底の岩などに付着し生活する大変珍しい生態をもつ稀少なコトクラゲ(Lyrocteis imperatoris)は陛下が発見し、動物学者の駒井卓(こまい たく)によって命名・発表されています。陛下に敬意を表してimperatorisという表記が入っていますね。

またちょっと変化球ではありますが、過去に他者によって名づけられ、いつしか忘れ去られてしまった和名を陛下が復活させた例もあります。

メタセコイア
▲メタセコイア
(画像引用:wikipedia,Alpsdake)

それはスギ科の大木、メタセコイア(Metasequoia glyptostroboides)。和名はアケボノスギと言い、植物学者の木村陽二郎(きむらようじろう)が昭和25年(1950年)に英名のdawn redwoodから和訳して命名したものでしたが、なかなか定着せず、昭和62年(1987年)の歌会始で陛下が
「わが国のたちなおり来し 年々(としどし)に あけぼのすぎの 木はのびにけり」
と御製を詠まれたことで注目を集めました。
現在、東京都杉並区では区の木にアケボノスギを指定しています。

誰もが知っている山口県の名勝といえば、カルスト地形が生んだ大鍾乳洞の秋芳洞。この命名にも陛下が関係しています。
元来、瀧穴と呼ばれていたこの大鍾乳洞を大正15年(1926年)に当時皇太子だった陛下が行啓された折、その名についてお尋ねになったそうです。
確かに瀧穴ではちょっと壮大さや荘厳さに欠ける、との当時の知事の意向と、殿下が「ここは秋が芳しいでしょう」とおっしゃったことが命名のきっかけになります。のちに東京滞在中の知事が宮内庁からの伝達を受け、「アキヨシドウ」と命名されたと山口へ電報を打ちました。

秋芳洞
▲秋芳洞
(画像引用:美祢市観光総務課)

当時の現地の村名が秋吉村だったことから、ならば漢字では秋吉洞だろうと皆が推測しましたが、知事に確認をとったところ、「吉」ではなく「芳」であると判明しました。
のちに秋吉村など4村が合併して秋芳町(しゅうほうちょう)となった経緯もあって(現在は美祢市)、秋芳洞を「しゅうほうどう」と誤読されることも多いですが、正しい読みは「あきよしどう」です。

同じく皇太子時代のこと、大正12年(1923年)台湾に10日ほど行啓され、その際に台湾領有当時の「日本最高峰」新高山(にいたかやま)の次に高い山の意味で、シルビア山を次高山(つぎたまやま)と命名されました。
シルビア山は現在は雪山(せつざん)と呼ばれ、標高は3,886mあります。

景勝といえば、源平合戦で有名な香川県の屋島にある展望台遊鶴亭(ゆうかくてい)もそうです。これもまた皇太子時代の大正11年(1922年)にこの地から瀬戸内海を眺望された殿下が320度広がる絶景を称賛になり、命名されたのだそう。

遊鶴亭
▲遊鶴亭
(画像引用:旅 瀬戸内(たびせと))

また昭和29年(1954年)全国巡幸で陛下は北海道ニセコ町にお立ち寄りになられました。そのときお召しになられた湧水の旨さに「甘露のようだ」と感想をお述べになられたエピソードが残っています。
甘露泉(かんろせん)と名付けられたその湧水は、1日1,400tも湧きだす豊富な水量を誇っており、周囲にスキー場や温泉などの観光スポットも多いことから、水汲みに訪れる人が絶えません。

水といえば、次は食べものということで、今度は福井県に飛んでみましょう。
福井といえば有名なご当地グルメ「越前おろしそば」がありますが、わざわざ「越前」と旧国名が冠されているのには理由があります。
陛下が昭和22年(1947年)に福井県を巡幸された際、武生市にあった「うるしや」という蕎麦屋(現在閉店)がおろしそばを献上しました。陛下はその蕎麦の味がよほどお気に召されたようで、滅多にしないおかわりをされるほどでした。

遊鶴亭
▲越前おろしそば

しかもそののちも陛下は「あの越前の蕎麦は大変おいしかった」と何度もおっしゃったそうで、その話が福井県に伝わり、「おろしそば」に越前の名を冠するようになったのです。
それ以降、陛下が福井県を行幸された際は必ず「越前おろしそば」を献上したそうです。

地名に関する命名といえば、神奈川県座間市と相模原市南区にまたがるエリアについた相武台(そうぶだい)も陛下の命名です。
昭和12年(1937年)に陸軍士官学校がこの地に移転し、同年の卒業式に陛下が行幸された際に敷地全域を指す名称として相武台と命名されました。
「武を練り鋭を養うに適す、すなわち武を相(み)る」台地ゆえにこの名を命じたのです。
現在、敷地は米軍キャンプ座間、陸上自衛隊座間駐屯地になっていますが、敷地の周囲も相武台の名を町名として使用しており、小田急電鉄の相武台前駅もあります。

同様に埼玉県入間市には陸軍航空士官学校の修武台(現・航空自衛隊入間基地)、埼玉県朝霞市には陸軍予科士官学校の振武台(現・陸上自衛隊朝霞駐屯地)の名があり、それぞれ陛下の命名によるものです。

最後に、陛下が命名されたわけではなく、陛下の行幸を祝して地元で名付けられた地名を羅列して終わりたいと思います。
自衛隊繋がりで、埼玉県熊谷市の航空自衛隊熊谷基地では昭和13年(1938年)の陛下行幸を記念して敷地内の飛行場地区を御稜威ヶ原(みいずがはら)と名付け、現在もその名で呼ばれています。

行幸は御幸(みゆき)の字を充てることもできることから、御幸のつく地名はたくさんあります。
たとえば茨城県つくば市の御幸が丘(みゆきがおか)は、昭和60年(1985年)に開催された国際科学技術博覧会(科学万博)の会場となり、陛下がここで開会宣言をなさった場所。
佐賀県嬉野市のみゆき公園もまた昭和62年(1987年)に第38回全国植樹祭が開催され、行幸があったことから公募により公園名がこのようになりました。

静岡県静岡市は昭和5年(1930年)の行幸を記念してJR静岡駅前から旧静岡御用邸前までの都市計画道路を御幸通りと命名。すぐ近くには平行して昭和通りも走っているのが面白いですね。(下地図の青ピンが御幸通り、赤ピンが昭和通り)

御幸のほかにはこんな例も。
沖縄県那覇市の中心地、県庁前駅のすぐそばの久茂地川(くもじがわ)に架かる御成橋(おなりはし)。これは皇太子時代の行啓の際にお渡りになったことが由来になっています。
兵庫県神戸市灘区の六甲山にある展望台も、昭和56年(1981年)陛下がお立ち寄りになられたことを記念して、天覧台と名付けられました。
ほかにも全国に数多くの陛下ゆかりの地名やスポットがあります。のんびりと探してみるのも楽しいかもしれません。

参考:公益財団法人水産無脊椎動物研究所(http://www.rimi.or.jp/tusin/TENNOU.html)
「鈴懸の径から」織田秀実・著 文芸社・刊
「越前おろしそば文化」中山重成・著 福井新聞社・刊:


他のエピソードを読む

 


Powered By 画RSS

→ページトップへもどる

お問い合わせ・サイトのご利用条件・プライバシーポリシー・本サイトに掲載している写真について
Copyright(c)2012 皇室なごみエピソード集 All Rights Reserved