今上陛下のエピソード

15年越しの願い

今上陛下

今上陛下と皇后陛下は平成3年(1991年)9月26日から、タイ、マレーシア、インドネシアの東南アジア3カ国を歴訪されました。タイ、マレーシア両王室とインドネシア大統領による招請によるもので、両陛下は現地にて晩餐会や墓地への献花、研究施設のご視察、現地在留邦人拝謁などの日程を無事こなされ、10月6日滞りなく東京へ御着されました。

ただ、ひとつだけ当初の予定どおりに進まなかったことがあります。2番目のご訪問国マレーシアでのことです。


クアラカンサーのウブディアモスク
▲マレーシア・クアラカンサーの
象徴であるウブディアモスク
画像引用:kasih dan sayang
(http://poplili12.blogspot.jp/)

9月30日、両陛下はマレーシアの首都クアラルンプールに御着されました。
国会議事堂広場前で歓迎行事、迎賓館でマハティール・ビン・モハマド首相夫妻とご引見、王宮にてアズラン・シャー・スルタン国王王妃両陛下とご会談。
さらには国家記念碑にご供花され、夜は晩餐会に臨まれるという過密なスケジュールでした。

晩餐会において、陛下はお言葉をお述べになられています。
「私どもは、明日以降、由緒ある王都クアラカンサーを始め、教育・研究施設あるいは福祉施設を訪問いたしますが、今回の訪問が、このように発展を続けるマレーシアと日本との友好関係の一層の飛躍に資するよう念じております」

しかし翌日、陛下がクアラカンサーへ御着されることはありませんでした
その理由は、折からの隣国インドネシアで発生していた山火事。煙が酷く、視界が悪いありさまで、クアラカンサーでの航空機の着陸には危険が伴いました。やむを得ず、クアラカンサーご訪問は中止となったのです。

両陛下がいらっしゃるのを心待ちにしていたクアラカンサーの人々は残念な気持ちで一杯。とりわけ、両陛下のご視察先に選定されていたマレーカレッジ(中高一貫校)の生徒たちは、陛下に謁見できる二度とない機会だっただけに落胆の色を隠せませんでした。皆で民族衣装を着てワクワクしながらお待ちしていたのです。

クアラカンサーのマレーカレッジ
▲名門校であるマレーカレッジ
画像引用:日本写真芸術専門学校
(http://www.npi.ac.jp/)

なかでもこの現実を最も悲しんだのが、3年生の生徒ムハマド・ハフィズ・ビン・オスマンさんです。
日本びいきな祖父と父の影響と、幼少のころから日本のドラマやアニメで育ったこともあり、カレッジでは日本語クラブの部長を務めていた彼。
15歳の多感な時期、悲しみのあまりに、その夜は文字通り泣き濡れたのだそうです。

翌日、「日本人が約束を破るはずがない」と信じるハフィズ少年は、両陛下に手紙をしたためます。いつかきっとご来訪ください、と。

いつしか時間は流れ、少年は大人になりました。日本への、そして陛下への熱意は消えるどころかますます強固なものとなったハフィズ少年、いやハフィズさんは日本語を猛勉強し、マレーカレッジを卒業。文部省(現:文部科学省)実施の試験にも合格して筑波大学へ進みます。

マハティール元首相
▲東方政策を提唱し実践した
マハティール・ビン・モハマド元首相

大学卒業後就職し、2年して一時帰国をしたハフィズさんに転機が訪れました。東方政策事務所の面接を受けてみないかと誘われたのです。
東方政策とは「ルックイースト・ポリシー」の名で知られ、資源のない国、日本の発展は日本の労働倫理、学習勤労意欲、道徳、経営能力などによるものという視点から、その要素を学びとりマレーシアの発展に活かそうという構想です。

マレーシアと日本の架け橋になりたいと常々考えていたハフィズさんは、これだ!とばかりに面接を受け、みごとパス。日本デスクを担当することになりました。平成14年(2002年)のことです。

そして平成18年(2006年)。忙殺される日々のハフィズさんのもとに母校マレーカレッジより連絡があります。
なんだろう、と話を聞いてみればびっくり、両陛下がマレーカレッジにお越しになるとのこと。さらに両陛下の案内役をハフィズさんに引き受けてほしいという依頼までついてきました。

天にも昇る気持ちとはこのことでしょう。ハフィズさんは迷わずその大役を快諾しました。
あの日から数えて15年です。15年間ずっと焦がれていた夢が現実になるという喜び。仕事帰りの車の中では感極まって涙がこぼれてきました。

しかし、またなぜこんな幸運が?とも思うのも当然のこと。仄聞したところによれば、15年前にハフィズ少年が送った両陛下宛ての手紙。しっかりと両陛下のお手元まで届けられ、そしてお忘れになられることなくお過ごしになられていたのです。

記者会見に臨まれる今上・皇后両陛下
▲御発前の記者会見での両陛下
画像引用:宮内庁
(http://www.kunaicho.go.jp/)

本来、この年の両陛下の外国ご訪問はシンガポールとタイのみのはずでした。シンガポールは外交関係樹立40周年記念の国際親善、タイは国王陛下即位60年記念式典ご臨席のため。
しかし、両陛下のたっての強いご希望でマレーシアお立ち寄りが実現したのです。

御発2日前の6月6日、記者会見にて今上陛下は「訪問を中止した当時の国王の出身州ペラ州を、ほとんど当時の日程どおりに訪問します。当時の国王を始め、ペラ州の人々が私どもの訪問を待っている状況の下で訪問を中止したことは常に私の念頭を離れないところでありました」とお言葉をお述べになられています。

6月10日。マレーカレッジに両陛下が無事に御着されました。案内役を仰せつかったハフィズさんが校内を案内差し上げ、後輩たちがマレーの民族舞踊の「ザピン」と「ソーラン節」を披露、資料館にも足を運ばれます。

マレーカレッジに到着された両陛下
▲マレーカレッジに到着された両陛下
画像引用:時事通信社

資料館でハフィズさんには今上陛下に自己紹介する機会がありました。すると陛下は少し離れた位置にいらっしゃった皇后陛下をお呼びになって「この方は15年前、ここにいらっしゃいました」と仰ったのです。
それを受けた皇后陛下は「15年前のこと、大変失礼いたしました」とお声掛けなされました。
思わぬ展開にハフィズさんは嬉し涙しきり。そして15年間覚えていてくださったことのお礼を両陛下に申し上げたのです。

ムハマド・ハフィズ・ビン・オスマンさん
▲ムハマド・ハフィズ・ビン・オスマンさん
画像引用:国際交流基金
(http://www.jpf.go.jp/)

日本に親しみ、日本に憧れ、日本に学び、日本で働き、日本を愛してきたハフィズさん。
とはいえ、これまでの人生の中で日本と自分との溝の深さに悩んだり、大きな心の挫折も味わってきました。

それでもマレーシアと日本の架け橋になりたいという夢を諦めることなく前進してきた彼。
両陛下のご来訪とその案内役抜擢はそんな彼の一途な思いと努力の結晶だったのかもしれません。

その後ハフィズさんは、ジャパンファウンデーション クアラルンプール日本文化センターで勤務する傍ら、マレーシア国営放送の番組プレゼンターを務めるなど活躍の場を広げて、まさに「架け橋」となっています。 琴の腕前はなかなかのものなのだそうです。

参考:宮内庁(http://www.kunaicho.go.jp/)
在マレーシア日本国大使館
(http://www.my.emb-japan.go.jp/Japanese/JIS/LEP/hafiz/0.html)
国際交流基金(http://www.jpf.go.jp/jfsc/topics/fr-0906-0078.html、
http://www.jpf.go.jp/jfsc/member/event/0610_repo.html )


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